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「孤」原田正憲の書

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原田先生の書集、「孤」原田正憲の書が発行されました。(2014年・春)
書集には先生の書108点が掲載されています。 1961年の日本芸術院展出品の特選と
なった書から、2013年の絶筆となる書まで、先生の生涯にわたる創作の代表作が選ばれ
ています。
この書集は先生が病の中で編集に関わり、書家としての自らの軌跡をまとめられた
ものです。しかし、まことに残念なことなのですが、先生はこの書集の完成を目にすること
なく、お亡くなりになってしまわれました。この発行の経緯を思うと、これは先生が命をかけ
て作り上げた最後の作品と言えるものとなりました。
 
書集のサイズは縦32.4×横25.6cmと大きなものです。そのため先生の書の繊細さと
ダイナミックなスケール感が迫力をもって伝わってきます。実物の書は一辺がlmを超える
和紙にただ一文字「圓」「幻」「朴」「遊」などの文字が書かれた作品が多く、先生が大作を
中心に作品に臨まれていたことが分かります。書の印象は「荒々しく」「大胆」「猛々しい」
という感じで、どの文字も鮮烈な気を放っています。
 先生を知る者にはその書は意外に映るかもしれません。というのも先生は一見、いつも
ほんのりとした穏やかなお人柄の方だったからです。また多くの文字はくずされていて、
時には文字の形体を失っているものもあります。そこで私たちは「何の文字が書かれてい
るのだろう。」と文字を判読しようとするのですが、それに対して先生はその書の理解につ
ながるような言葉を添えて下さっています。

       「書についていえば、何という字が、どのような文宇が書かれているかが一に問わ
        れるのことではなく、形として存在として美しいかが問題なのです。」

私たちは先生の言葉を読む進めるうちに、先生の書がなぜこのような形で書かれてい
るのかが徐々に分かるようになります。
先生は、常に文字の意味よりも、字の形が存在として美しいかということを問われてき
ました。そのために文字を普通の意味で美しく書くことや、熟練した書の技術をあえて否定
されていました。それは既成の美を真似るのではなく、自身の中にある美を見つけ出すこと
をが大切だと考えられていたからです。
書に向かおうとする瞬間に、自己の内面に向き合い、かつ自由な精神をたずさえた創作に
取り組まれた先生の姿が浮かび上がります。

    「書は人なりといわれ、書を見ればその人がわかるという。その人の境涯がわかる
    ということであって、性格であるとか、癖であるとかいうものにとどまらず、もっと人間
    として深いところのもの、人間として生きてることの深さ、それがわかるというもので
    ある。ということは、書を書くことによって自らの生きざまを自ら作品に問うことができ
    るわけである。」

先生の目指された理想の書というものは、はっきりとした概念があったのですが、実践としてその
理想の書にたどリ着くことは容易ではなかったようです。書集には先生の創作の苦悩についての
言葉もあリます。また、書壇のなかでの立場にも不安を持たれていたようです。若い頃、書の師
から辞し、前衛書の会「墨人会」からも離れ、1974年からは全くの「孤」の立場で自身の「書」を
探求されました。

    「日展の権威を否定し、在野として墨人会の嘯きさえ、自らを縛ることになって、
    それを否定した今、どこを目指せばいいのか、ただただ書くしかありませんで
    した。」

    「そこでは、絶えず自分のやっているのは「書」なのかと。自分自身のなかで
    問わずにおれない日々でありました。孤であることの厳しさと寂しさに見舞わ
    れたものでした。」

「孤」という自身の存在と立場の辛さを吐露されています。
書橿から離れ「孤」の立場になって、他の書家とそれまで共有してきた価値観を手放すことになり、
そこから先生の理想とする書を追い求める創作が始まります。規範の美ではなく、自分自身の
生きざまを書に問う「孤」の闘いです。

その創作の中で先生はどれほど素晴らしく見える御自身の書に対しても、まだまだ道半ばあると
自分自身を戒めておられたようです。騏ることなく「孤」の世界に身を置き、書と向き合い創作
する。しかし時に「このような書でいいのか」と自問自答する。
そのような創作のなかで先生は真摯にひとつの態度を貫き通されました。それはどんなに迷った
としても、全ては書くことからしか始まらないとう態度でした。そうして多くの作品が誕生していき
ます。先生は書家として55年、孤となってからは40年におよぶ創作を続けてこられました。その
人生をかけた長き創作において絶えず理想の書を追い求めてこられました。そしてついに先生は
人生の晩年においてついに理想の書に到達できたという実感を持たれます。

    「私はここ数年の自分の仕事の中に、とりわけ『月の会』で発表した。「幽」「幻」
    「俎」「信」において、孤に触れ得たというか、求め続けている孤にたどリ着いた
    思いがいたしました。書き終えた時、涙が溢れました。」

理想の書のたどリ着いたこの感動的な瞬間から、先生は、さらに「もっともっと書きたい」とそれ
までに無かった程の強く思われたそうです。やっとたどリ着いた境地のなかで創作された最後
の書はこの書集のなかでも最もこころを打つものになっています。

「孤」原田正憲の書は、理想を追い求めた先生の生きざまが、字の形となって残された作品集です。
-筆一筆に込められたものが本当の美しさを醸し出しています。しかし先生の残されたこれらの書を
本の意味で理解できるかどうかは、見る人に問われているように思えます。つまりそれは見る私たち
が人生において深いところのものを見て感じているかどうかが問われていると感じるのです。先生は
私たちに人生において問うべき事柄を、書において示されたのではないでしょうか。

※巻末には書以外の資料も掲載されています。

「原田正憲の手」~筆を握る傍ら、一体何をやらかすのやら、とにかく遊ぶことが大好き~と
いう括リで、先生が作られた、軸装、額装、屏風仕立て、うちわ、あかり、陶器等が写真付きで
紹介されています。陶器には小さくて可愛いかたちが、うちわには和であってモダンな都会的
センスが、しかもどれもはんなりとした姿に作られています。それらは私たちの知る先生の
イメージにとって近いものがありました。これらは作品番号が付けられていないので、作品
とは見なせないのでょうが、先生の遊びごころとオフな姿がそこにあり、私たちが目にした
あのやさしい先生の姿がなって見えました。

                                                                             桜塚高校27期生 浜本隆司
「孤」原田正憲の書
縦32.4×横25.6cm 152ページ